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富士山麓の秦氏 その27


富士山周辺地域の検討は終了しました。しかし、未解決の謎が残っています。徐福や秦氏が大明見に鬼門を設置したはずなのにそれが無効力だった謎です。この問題は桂川を下りつつ徐々に解明していきたいと思います。

さて、富士北麓に居住していた秦氏は800年の富士山大噴火で相模国へ移住します。そのルート上にある秦氏の居住地域は「相模国の秦氏」において検討しました。しかし欠けている部分も多くあり、再度詳細に辿ってみたいと思います。

方法論としては、現在も秦姓が多く居住し、かつ秦氏地名の存在する地域を調べていきます。そうすれば、彼らの痕跡に当たるでしょう。と言うことで、富士吉田市を離れ139号線に沿って桂川を下ります。走り出せばすぐに都留市です。都留市の都留は既に書いたように徐福が死んだ後、鶴となった飛び去った伝説にちなんでいます。

だとすれば、都留市一帯を詳細に見ていく必要があるでしょう。まず秦姓ですが山梨県全体で44人中、都留市だけで16人となっています。全体数の36%が居られるなら、都留市は秦氏の拠点であったと考えて間違いありません。

次に地名から見ていきます。最初に目に付いたのが都留市桂町鹿留古渡(こわた)です。古渡のどこが秦氏地名かわからないとの声が上がりそうですが、古渡は以前「小幡」となっていました。それを証明するかのように都留市には小幡管工や小幡ガラス店があり、鹿留の今宮神社神楽の育成会長は小幡さんです。小幡姓で見ても山梨県全体で99人中、都留市が18人でトップとなっています。

古渡へ行くには明見から桂川に沿って北東に進みます。すると、富士急行大月線の東桂駅に至ります。その南、桂川の支流である鹿留川に沿った一帯が桂町鹿留古渡となります。


大きな地図で見る
古渡一帯を示すグーグル画像。
画像を適宜縮小・拡大して位置関係を確認ください。土地の形が大明見に極めて似通っていると思いませんか?

画像に光照寺と言うお寺が見られます。チェックしてみたところ、何とこのお寺には源頼朝が関与していました。頼朝は富士山での巻狩りに際し、武運長久を祈願するため寺を建立したのです。

巻狩り内容は以下Wikipedia を参照します。

富士の巻狩り(ふじのまきがり)とは、建久4年(1193年)5月に源頼朝が多くの御家人を集め、富士の裾野付近を中心として行った壮大な巻狩のことである。主な目的は軍事訓練であり、それと同時に頼朝が武家の棟梁としての立場を東国の武士たちに示すデモンストレーションでもあった。巻狩りの行動範囲は、富士の裾野の東方(現在の静岡県御殿場市や裾野市)に始まり、より西側の朝霧高原(現在の静岡県富士宮市)など広範囲に及んでいた。


1193年は鎌倉幕府創設の直後となります。これにも何か意味がありそうです。余談ですが、巻狩りの最中に曽我兄弟の仇討ちと言う大事件が勃発しています。「吾妻鏡」を見ると、5月2日に北条時政が先に出立し宿所の手配などしているので、時政が頼朝の暗殺を目的とした騒動であったとも受け取れます。

頼朝が駿河国に赴いたのは5月8日。曽我兄弟が事件を起こしたのは5月28日で、「吾妻鏡」には曽我五郎時致が頼朝の御前めがけて走り参ったとの記述もあります。そして6月7日、頼朝は駿河国から鎌倉に向けて帰りました。富士の巻狩りは1カ月に及ぶものだったのです。

では本題に戻ります。光照寺は頼朝が武運長久を祈願するために建立されました。しかし、どうも納得できません。富士の巻狩りの実施地域と都留市はあまりにも場所がかけ離れているからです。

なぜ頼朝はこんな場所で武運長久を祈願したのでしょう?ちょっと奇妙に思えませんか?古渡は富士山からは離れているし、しかも桂川から南の奥に入った隠れ里のような場所です。この裏には何か隠されたものがある。そう思い、あれこれ頭をひねっているとある考えが浮かんできました。

頼朝は富士の巻狩りの際、大明見の湧水に筆をひたし、政子に便りをしたから、その場所が硯水不動尊と呼ばれるようになりました。頼朝は朝霧高原から遠い大明見にまでなぜ出掛けたのか?その謎が光照寺の存在から解けそうな気がします。

以前掲載した鎌倉の謎解きの中で、頼朝は秦氏の影響を強く受けた人物と書きました。だとしたら、富士の巻狩りと言うビッグイベントの背後にも秦氏の影がちらついていると考えられます。

硯水不動尊は阿祖山太神宮から渓流沿いに奥に入った場所に位置しています。そこから何が導き出せるでしょう?富士山麓なら水はどこでも豊富にあります。わざわざ渓流の奥深くまで踏み入る必要などないはずです。

以上からある推定が成り立ちます。以前にも書いた通り、源頼朝の目的は巻狩りの実施ではなかった。彼の目的は富士高天ヶ原王朝の阿祖山太神宮訪問にあったと言う推定です。

頼朝がわざわざ別の理由でカモフラージュして富士山の表鬼門に当たる阿祖山太神宮を訪問した理由は何か?さらに都留市の光照寺で武運長久を祈願した理由は何か?この両方の疑問を重ね合わせることで答えが出てきそうです。

               ―富士山麓の秦氏 その28に続く―
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