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富士山麓の秦氏 その31

富士山麓の秦氏
12 /12 2011

光照寺のある古渡を後にして、139号線を大月方面に向けて走ります。すると…、何やら物凄い水煙が上がっています。車を止めて見に行きましょう。

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田原の滝です。

膨大な水量が流れ落ち水煙が上がっていました。まるでナイアガラの滝(テレビでしか見たことありませんが…)のようです。台風12号で山中湖の水位が上がり、その水を現在も桂川に流し続けているので、写真のような水量になっていると思われます。(訪問時点は11月初めであり、現状は不明です)

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もう一枚。右側の柱状節理が何となくコンクリっぽいですね。

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解説板。

渓流再生工事が実施されたとあり、やはり修景されていました。それでもこの水量は一見の価値があります。


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滝の位置を示すグーグル地図画像。

田原の滝を過ぎると谷村町です。この一帯には秦氏との関連を示す、勝山八幡神社(勝山と秦氏の関係)、高尾神社(鷹は秦氏のシンボル)、長安寺の裏山の白木山(白木は新羅)などがあります。

谷村駅からさらに139号線を進みます。前回古渡は小幡であり、道志村の大渡は大幡である事実を見てきました。桂川に沿って点在する幡の地名は秦氏を意味しているとわかります。

都留市の西側には大幡と言う地名が見られ、ここにも秦氏の痕跡がありそうです。富士急大月線都留市駅の前で139号線と別れ、40号線、705号線へと車を走らせます。

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705号線にて撮影。

道は三つ峠山、御巣鷹山、清八山、鶴が鳥屋山に囲まれた谷戸地形の中へ入って行きます。秦氏のシンボルである鷹、徐福の化身である鶴のいずれも山の名前に入っています。写真では山に囲まれた様子が見て取れます。705号線は大幡川に沿っています。


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一帯を示すグーグル地図画像。画像を拡大・縮小して位置関係をチェックください。

大幡川やその支流に沿って、加畑、横畑、高畑、下大幡、上大幡などの秦氏地名が見られます。

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大幡川。

そして流域の上大幡と高畑のほぼ中間に機神社が鎮座しています。

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機神社の案内柱です。

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機神社の舞殿でしょうか。参道の石段前と言う変わった位置にあります。

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拝殿です。

「甲斐国志」巻之十八村里部第十六上の大幡村の項を見ると、「どこからか大幡一旒舞い来てこの地に止まったのでこれを神に祀り村名もこれより起こった。今丸のこしと言う地に祠あり、御機明神と称しタナバタ姫を祀ると言う」とあります。道志村の大渡と全く内容を同じくしています。

秦氏がこの地に来たのは間違いありません。さらに機神社も秦氏と繋がります。交野市には織姫を祀る機物神社がありますが、秦氏が祀るから機物(はたもの)神社と称するとの言い伝えもあり、これと同じ例と考えられます。

大幡村近くの加畑村に関しても、「甲斐国志」に以下の記述がありました。

天武紀神服(カンハタ)部或ハ綺戸(カハタ)二作ル山城国加幡村紙幡寺アリ釈書ニ蟹幡二作ル皆借字ニテ神服正字ナルベシ

加畑には色々な表記があるが、神服が正しい字だと言う意味でしょうか?それはさて置いても、非常に面白いと内容だと思います。山城町綺田(かばた)には蟹満寺があり、綺幡寺・蟹幡寺・紙幡寺・加波多寺とも称されていました。創建は680年頃でこの地は蟹幡(かむはた)郷と呼ばれていました。蟹満寺は秦氏の氏寺である広隆寺の末寺になっていたこともあります。これらから、加畑村の地名は秦氏に由来すると明確に判断できます。

結局、綺田と加畑は同じで神服(カンハタ)だったのです。神の字音はシンで秦、服(ハタ)も秦ですから、秦秦(ハタハタ)となります。ハタハタは鰰で神の魚。魚の名前にも秦氏の関与があったとわかります。秦氏は、自分たちが神であると言う暗号をあちこちに埋めておいたのです。

藤沢市の図書館で借り出した「甲斐国志」は酔石亭主にとって、秦氏探求のバイブル状態になってしまいました。さらに上流に進みます。

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大幡川の上流部。

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案内板。

宝鉱山とあります。明治時代に発見された銅鉱山ですが、秦氏はここで銅が産出されることを知っていたのかもしれません。大幡川流域に秦氏地名ばかりある理由が宝鉱山であるとするのは、彼らの特性からしてすんなり理解できます。

                  ―富士山麓の秦氏 その32に続く―
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酔石亭主

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