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秦さんはどこにいる? その23 (久我山の秦氏 補足)


以前「久我山の秦氏」シリーズを書いていて気になったのが、この場所の地名由来です。そこでちょいと調べてみると、一般的に、久我は陸(くが)を意味するとか。久我山一帯は台地状の土地なので「陸」+「山」すなわち久我山と言うことでしょうか?

あまり納得できないものの、当時、久我山は秦氏地名ではないと思って放置していました。しかし、かつて自分が住んでいた地名を移住先に持ち込むのは秦氏の常套手段。これだけ秦氏が密集しているなら、久我山は絶対に秦氏と関係ある地名のはずです。と言うことで、あれこれ調べ始めました…。

まず久我について見ていきます。よくあるケースですが、久我は氏族の名前かもしれません。そう思い調べてみると、久我氏は山城国乙訓郡久我郷を拠点とした古代豪族で、山城国造である久我直の祖に「天背男命」がいると判明しました。

山城国乙訓郡と言えば秦氏と関係あります。Wikipediaによれば、「乙訓は昔この地方が「弟国」と呼ばれていたのが語源とされる。なお、「兄国」は葛野郡(現在の京都市西部)だと言われている」とのこと。

葛野郡は正しく秦川勝を頭領とする秦氏の一大拠点で、その弟に当たる地域が乙訓でした。これだけでも乙訓は秦氏関連とわかります。他の例を挙げます。長岡京の造宮長官である藤原種継の母は乙訓の秦氏である秦朝元の娘です。「秦氏の謎を解く その11」でも乙訓に関して書いていますので参照ください。

乙訓郡には現在の伏見区も一部含まれます。伏見と言えば秦氏関係ですぐに思い浮かぶ神社があります。誰もがご存知の伏見稲荷大社ですね。乙訓も伏見も秦氏絡みでそこに久我郷があったなら、久我と言う地名がまだ残っているかもしれません。早速チェックしてみましょう。


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グーグル地図画像。

ありました。伏見区に久我の地名です。(ただし「くが」ではなく「こが」と読む)何と秦氏地名の桂川に沿っています。近くには巨椋池(おぐらいけ)があり、これも「おぐら=小倉」で秦氏に関係する名前です。では、久我と秦氏の関係をどう理解すればいいのでしょう?多分、以下のようなものと思われます。

元々古代豪族である久我氏の土地だったものを、当時の最強渡来人秦氏が乗っ取り自分のものにした。しかし地名は先住者に敬意を払って久我をそのまま踏襲した。

だとすれば、久我山の秦氏は伏見区久我に居住していた秦氏が移住したものと考えられますが、そう簡単には決めつけられません。

久我山の久我は陸(くが)を意味するそうですから、こちらからも探ってみましょう。陸(くが)は、クヌガ(国処)から変化したと言う説があるようです。地名で見ると、兵庫県相生市陸があります。何と、こちらも秦川勝と関係がありそうな事態に…。


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相生市陸を示すグーグル地図画像。

相生市陸の南には坂越(赤穂市)と言う地名があり、ここには大避神社が鎮座しています。


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大避神社を示すグーグル地図画像。

大避神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

大避神社(おおさけじんじゃ)は兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社。祭神は大避大神(秦河勝)
坂越浦に面して鎮座し、秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っている。 神社の創立時期は明らかではないが、千種川流域を開墾したとされる秦河勝が大化3年(647年)に没し、地元の民がその霊を祀ったのが始まりとされる。
河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で没した。


秦川勝が千種川流域を開墾したせいか、坂越以外の周辺地域に数多くの大避神社が鎮座しています。しかし、妙な点もあります。秦川勝が蘇我入鹿の迫害をのがれて坂越に移ったとされているのですが、相生市陸の西、宝台山の周辺には山ほどスサノオを祀る須賀神社が多数集積しているのです。そして須賀神社には蘇我氏の影が見えるのです。


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宝台山を示すグーグル地図画像。拡大してご覧ください。須賀神社だらけです。

相生市若狭野町入野にある池は、昔入鹿の淵と呼ばれていました。理由はこの一帯が蘇我入鹿領地だったからとされています。蘇我入鹿は蘇我馬子の孫ですが、相生市矢野町小河には宇麻志(うまし)神社があり、蘇我馬子が祀られています。宇麻志(うまし)=馬子なのです。

となると、秦川勝が蘇我入鹿の迫害をのがれて坂越に移ったのが正しいのかどうか、疑問に思えてきます。敵の迫害を逃れるため敵の支配地に行くなんてあり得ませんから…。

高知県の幡多一帯もまた同様に須賀神社が24社も鎮座しています。秦氏と蘇我氏。かなりの繋がりがありそうですね。しかし、相生市における秦氏と蘇我氏の関係を整理するだけでも、膨大な時間が必要になりそうです。現地訪問も不可欠ですが当面は難しく、いずれ機会があればとしておきましょう。

相生市三濃山には秦川勝の忠犬伝説があり、由来を聞いた空海は大同年中(806年~809年)に寺を建立。貞観6年(864年)に、赤穂郡大領となった秦造内麻呂は、秦川勝を偲んで三濃山に観音寺(求福教寺)を建てたとされます。それ以外にも秦氏関連の伝承は数多くありますが、これもまた別の機会にとしておきます。


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三濃山を示すグーグル地図画像。

なお相生市周辺には高取峠(鷹取峠)、高雄山(鷹尾山)、光明山など秦氏と繋がりそうな地名があります。などと思って地図を見ていると…。陸の西に有年牟礼と言う地名もありました。


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有年牟礼を示すグーグル地図画像。

牟礼に見覚えありませんか?そう、久我山の西にあるのが牟礼です。


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久我山を示すグーグル地図画像。

全くどんぴしゃりと言う感じですね。相生市には久我の元になる陸があり、その西には有年牟礼がある。久我山の西にも牟礼がある。両者は基本構造が同じ土地であり、秦氏の居住地である点も同じ、となります。なお、牟礼は古代朝鮮語で山を意味しています。以上からすると、陸(久我)+牟礼(山)=久我山、となったのではないでしょうか?

赤穂市の有年牟礼・山田遺跡からは秦と刻んだ須恵器が出土しています。東京の牟礼は三鷹市にあり、鷹は秦氏のシンボルなのでどちらの牟礼も秦氏絡みと判断されます。

さらに、京都の久我、相生市の陸、秦野も秦川勝絡みと考えることができます。「秦さんはどこにいる? その18(久我山の秦氏)」において、この地の秦氏は秦野から移住したと推論しましたが、今回の検討からそう考えて正しそうな気がします。

ところで、本記事の初めの方に、久我氏は山城国乙訓郡久我郷を拠点とした古代豪族で、山城国造である久我直の祖に「天背男命」がいると書いています。急に話は飛ぶのですが、富士宮の星山には倭文神社が鎮座しています。

その由緒によると、日本最古唯一の織物、製紙の神である健羽雷神を奉祭する神社で、古代高天ヶ原時代、当地に星神として君臨して居た香々背男が、貫戸、岩本付近の神々を糾合して、中央政府に反乱を企てたので経津主神と、武甕槌命は健羽雷神を遣して之を討滅せしめた。以後、健羽雷神は、星山に永住し、織物製紙の業を興したので諸神の崇敬を集め当神社に祀られた、などとあります。


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星山を示すグーグル地図画像。

実はこの近くで秦川勝が姿を現しているのです。詳しくは「東海の秦氏 その1」を参照ください。「日本書紀」皇極天皇3年(644年)の記事によれば、東国富士川周辺の大生部多(おおふべのおお)という人物が虫を祭ることを村里の人に勧め、「これは常世の神で、この神を祭れば豊かになって若返る」と言って、民の財宝を捨てさせ貧しくさせた。民を惑わす悪行に秦川勝が怒り、大生部多を討ったとされます。

上記は、乙訓郡久我郷に居住していた久我氏の祖である天背男命(あるいはその子孫)を、秦氏(秦川勝)が倒し自分たちの拠点としたことを反映しているのではないでしょうか?

香々背男(=天背男命)は久我氏の祖であり、健羽雷神を秦川勝と見立てればピッタリ一致します。秦氏は養蚕・機織りが得意技なのも、健羽雷神は織物製紙の業を興した、との由緒に一致します。

製紙業も、(財)紙の博物館会報「かみ はく友の会ニュースレター No.6」(2005年3月1日)によると、「我が国の紙造りは、之を得意とする新羅加羅出身の渡来氏族、秦氏によるとされている」とあり、こちらも一致します。これらからすると伏見区久我もやはり捨てがたい。でも…、

秦川勝は大生部多(おおふべのおお)を富士川周辺で討ったのですが、相生市の相生は、以前は「相生(おお)村」と呼ばれていました。何と相生市でも関連しそうです。ところがどっこい、相生市の地名由来はWikipediaによれば以下の通りです。

大嶋城の城主となった海老名氏が相模国(現在の神奈川県海老名市)出自であることから、浦名として呼ばれていた「おお」に相模生まれの漢字を宛てたのが「相生」の由来であるという説が有力である。


ちょっと困りましたが、Wikipediaの記述は「相生」と言う表記の由来に過ぎません。音は相生湾の漁村大(おお)浦に由来しているようです。しかし、大浦の大を取って地名にするでしょうか?大浦は大きい浦ですから大は形容詞的であり、そんなはずはありません。

以上から久我山の地名由来は、伏見区久我と相生市陸の両方に関係しそうです。と言うか、山城国の秦氏→播磨に移住→秦野に移住→久我山に移住の経路を辿ったとすれば、全部ひっくるめて辻褄が合いそうに思えますが…。

あまり深く考えずに書いたので生煮えの部分が多くなりました。でも、思いもよらない方向性が出て結構面白いですね。「秦さんはどこにいる? 久我山の秦氏」の補足としては以上です。
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