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信濃国の秦氏 その15


今回の最終目的地が小県郡長和町和田です。波田町に続き、またも秦氏の存在が想定される地域に和田の地名がありました。長野県の羽田姓で調べてみると、全体で300人中、長野市86人、小県郡長和町50人、大町市19人などが主なものです。長和町と言う小さな地域に全体の16%強も羽田姓の方が居られるのですから、この数には明らかに有意性があります。さらに和田宿から和田峠に向かう途中には、波田町と同様に唐沢があります。


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唐沢を示すグーグル地図画像。

これらのネーミングから、信濃国の秦氏は地名に関連性を持たせていると理解されます。

秦氏関連ではよく知られていることですが、元首相である羽田孜氏の父羽田武嗣郎(はたぶしろう)氏は秦氏の流れを汲む人物とされ、小県郡和田村(現在の長和町)の出身です。このあたりはじっくり検討するとして、中山道和田宿から見ていきましょう。


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和田宿を示すグーグル地図画像。

和田と表示された辺りが旧和田宿となります。和田宿は慶長7年(1620年)、中山道の設置に伴い成立しました。幕末の文久元年(1861年)3月、宿場の大半が火災で焼失してしまいますが、この年の11月に皇女和宮の御下向が控えていたところから、幕府より2千両ほど拝借して町並みを復興させたそうです。(注:現地で頂いた中山道和田宿マップを参照しました)

和田峠はガーネットの産地で、酔石亭主も数回採集に出向いています。また霧ヶ峰から和田峠一帯は黒曜石も産出し、旧石器時代の人々がナイフや鏃(やじり)の原材料とするため採集に訪れたとされています。秦氏の時代よりも遥か以前から人々がこの地で活動していたのです。

ちなみに、和田村の和田は大綿津見神(オオワタツミ)に由来する海人系安曇族の地名で、羽田姓の多い河口湖周辺にも足和田山や南都留郡足和田村の地名があり、一帯には徐福伝承が濃厚に残っています。つまり、羽田孜氏の和田村と秦氏と徐福伝承の地である富士北麓一帯には海人系で共通するものがあるのです。

和田宿周辺所で気になるものを何カ所かピックアップしてみます。

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頂いた和田宿の地図。

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かあちゃんの家。地図の⑦になります。

現在は農家レストランとなっていますが、実はこの建物が明治維新まで定名主を務めた羽田氏の役宅であったとのことです。本陣の案内の方にお聞きしたところ、羽田本家は和田宿に家があったが、長久保宿方面に下った柳又バス停近くに移られたそうです。(注:聞き取りなので正確かどうか自信はありません。脇本陣も羽田家だったようです)

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脇本陣です。(和田宿の写真は別記事にてご紹介します)

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和田宿から見た和田城跡。真ん中の落葉樹となったあたりが城跡だそうです。

和田城と長和町における羽田氏は密接不可分なもののようです。この城はかつて大井信定の居城でした。秦幸清(羽田治郎左衛門幸清、1520~1554年、現在の長和町における羽田氏のご先祖)は家老として大井信定に仕えます。ところが武田晴信(信玄)の信濃侵攻により、秦幸清は下和田の矢崎城(和田城の支城、後で写真をアップします)において討たれてしまいました。この折に和田城主大井信定も討ち死にしたとのことです。

実は、武田晴信がいつ矢崎城と和田城を攻めたのか判然としません。後で見る若宮八幡神社の解説板には天文23年(1555年)とあります。(天文23年は1554年のはずですが…)一方、中山道和田宿マップには天文22年(1553年)に武田晴信(信玄)と戦い、自害して果てた和田城主大井信定父子の菩提冥福を弔うため、翌天文23年に信定寺が建立された、とあります。

他のブログでは天文22年に信定寺が創建されたと言うのが主流となっています。大井信定が天文23年に討ち死にする前に菩提を弔う寺が建てられるはずがありません。

羽田本家の家系図には、羽田幸清が天文23年(1554年)6月15日、下和田の矢崎城において主君の大井信定と共に討死、墓は下和田若宮八幡社境内にある、と書かれているようです。

混乱させられますが、ほとんど史料がないようなので仕方ありませんね。本ブログでは、天文年間に武田晴信が大井氏の和田城と秦幸清が守る矢崎城を攻略した、としておきます。(注:「秦さんはどこにいる? その7」では、天文23年に攻略と書いていますが…(^_^;))

迫害を避け一族の無事を確保するためか、これ以降長和町の秦氏は羽田氏に改名したようです。(羽田孜氏もそのように語っておられます)羽田氏の流れを以下のように追ってみました。

戦国時代
秦幸清:天文年間に武田氏との戦闘で討死。
秦幸清の長男羽田筑後守竹久:武田氏に従い、武田の滅亡後は真田家に仕え大坂夏の陣で討死。
次男の羽田六右衛門房幸、三男の羽田右近之介幸正:真田家に仕え大坂夏の陣で討死。
四男羽田信久、五男羽田吉久:徳川方に与した。長和町和田の羽田氏は羽田吉久の後裔に当たる。
江戸時代
文政年間(1800年代前半):羽田忠左衛門、羽田雄助。
現代
羽田貞義―羽田武嗣郎(三男)―羽田孜―羽田雄一郎


(注:上記は寄せ集めで書いたので正しいとの保証はありません)

今回の内閣改造で、国交相には羽田雄一郎氏が起用されるとのことです。さすがですね。

以上から、長和町和田における羽田姓は秦氏が改姓したものであると確認できました。和田や唐沢の地名も秦氏が存在した傍証となるでしょう。もっと調べたいこともありますが、羽田氏の家系については一旦打ち切ります。和田城のある山の左手中腹に何やら気になるものがあるからです。

               ―信濃国の秦氏 その16に続く―
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