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鎌倉散策

鎌倉歳時記
04 /10 2011

通常は目的を持って鎌倉を歩くのですが、目的もなく歩く場合があります。すると、予期せぬ面白いものに出くわします。そんな写真を数枚…。

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JALの賽銭箱です。

経営が悪化したので、なりふり構わずお金を掻き集めようとしているのでしょうか?

もちろんそんなはずはありません。この賽銭箱は鶴岡八幡宮のものです。通常八幡宮は三つ巴紋を神紋とするのですが、鶴岡八幡宮の場合は、鶴にあやかってか、鶴丸紋となっています。

それにしてもJALのマークと似ていますね。当然鶴岡八幡宮の方が古いのですから、JALが真似たのではと勝手に想像しています。商標権の問題はなかったのでしょうか?

小町の滑川に近い路地をうろついていたら、荒廃した庭が目に飛び込んできました。

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庭に放置された鬼瓦。

家は既になく積み上げられた瓦礫は苔むしています。かなり前に廃屋となったお宅なのでしょう。それにしても、家を魔物の侵入から守る鬼瓦をこんな形で放置しておいていいのでしょうか?鬼の目に涙が浮かんでいるような気がしました。

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画質をいじってもう一枚。怖い雰囲気が増してきた…?

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山積みとなった石が苔むしても、季節が巡ると木々は花を咲かせます。

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竹垣の下に咲く清楚なすみれ。もちろん別の場所です。

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ところで、中国などが日本の食料品を輸入禁止にしたり、検査を義務付けたりしています。

これには笑ってしまいました。

特に中国は猛毒垂れ流し状態で、環境は破壊し放題、汚染された食品も売り放題。そんな彼らでも目に見えない放射能は怖いらしい。けれど、毎日自分たちが垂れ流す猛害の方がはるかに大きな問題じゃないか。

まず自分たちが襟を正すべきでしょう。

最近も牛乳を飲んで死亡した赤ちゃんに関する報道がありました。これらは氷山の一角にすぎず、もっと恐ろしい被害が山ほどあると思います。

中国の都市はいつ行っても空はどんよりとして、分厚い汚染物質のベールに包まれています。それらは黄砂とともに日本にまで飛来しているのです。

人のことを言う前に、中国は汚染物質を外に出さないよう厳しく管理せよ。自国の大気中に含まれる汚染物質量を毎日発表せよ。

そうしたら、日本の放射能どころの騒ぎではなくなるはずです。


新春の鶴岡八幡宮

鎌倉歳時記
01 /16 2011

アップが遅くなってしまいましたが、新春の1月5日鶴岡八幡宮に行ってきました。

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鶴岡八幡宮。

初詣の人波が途切れることなく続き、境内は華やいだ空気が漂っています。参道左手に巨大モニターが設置されており、何やら行事の模様が映し出されていました。

急いで舞殿まで歩くと人垣が。新年の行事である除魔式見物の人垣です。

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除魔式。

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もう一枚。

除魔式とは、年の始めに年中の魔を除く目的で執り行われる行事です。鶴岡八幡宮の場合、的の裏に鬼という字を封じ込め、十五間(約27m)の距離から射抜く神事となっています。矢には魔を除く呪力があるとされ、破魔矢も同様のものと言えましょう。

もうご存知のように矢(=ヤ)は也であり、也は蛇の形を示す象形文字でした。旧約聖書創世記においてアダムとイブに禁断の林檎を食べさせたのが、蛇に変身したヤハウェ神だったのです。(詳細はカテゴリ「旧約聖書の謎を解く」を参照ください)旧約の絶対神であるヤハウェのヤが聖なるもの、魔を除くものとされたのは当然のことです。このため、邪馬台国、大和、矢幡、八幡、八岐大蛇など古代の日本で重要な存在はどれもヤが頭に付くことになりました。ヤが蛇であるのは八岐大蛇や、蛇を大分県ではヤアタロということからも明らかです。頭の尖った蛇の形も矢と同じですね。

一つの行事にも、その深源には奥の深い世界がありました。鶴岡八幡宮については既に見てきましたが、「新相模国風土記稿」にわかりやすく記載があるので以下参照します。文字が小さくなっている部分もありますが、これは風土記の記述が大文字の主文の間に小文字の引用や説明を入れているためで、それを同じ形で踏襲したものです。訳文は引用の前後に―を入れて読みやすくしておきました。(誤訳があるかもしれませんが、ご寛容のほど)

抑此地ヲ鶴岡ト唱フル事ハ。治承四年。源頼朝。由比郷鶴岡ニ鎮座アリシ。若宮 鶴岡若宮ト号ス。ヲ爰二移シ。舊ニ依テ鶴岡若宮ト号ス。又建久二年。若宮ノ背後。松ヶ岡 詞林采葉集曰。昔大蔵冠鎌足。イマタ鎌子ト申セシ頃。宿願ノ事二依。鹿島参詣ノ時。此由井里二宿シ給ヒケル夜。霊夢ヲ感シ。年来所持シ給ヒケル鎌ヲ。今ノ大蔵ノ松ヶ岡二。埋給ヒケルヨリ。鎌倉郡ト云。按スルニ。當所後背ノ山ヲ。今モ大臣山ト称スルハ此故ナリ。二稲荷 松岡明神ト号ス。社アリシヲ。北方丸山二移シ。其蹟二宮祠ヲ建。八幡ヲ勧請シ。是ヲモ鶴岡八幡宮ト称ス。

なおこの地を鶴岡と唱えるのは治承四年(1180年)源頼朝が由比郷鶴岡に鎮座していた若宮―鶴岡若宮と号す―をここに移し、以前通り鶴岡若宮と号したことによる。また建久二年(1191年)若宮の背後松ガ岡―詞林采葉集によれば昔大蔵冠鎌足がいまだ鎌子と言っていた頃宿願があって鹿島に参詣の時、この由井里に泊まった夜霊夢を見て、年来所持していた鎌を今の大蔵ノ松ヶ岡に埋めたことより鎌倉郡と言うようになった。考えるに、この場所の後背の山を今も大臣山と称するのはこのためである。―に松岡明神と号する稲荷社があったものを、北方の丸山に移し、その跡に宮を建て八幡神を勧請して、これを鶴岡八幡宮と称した。


大きな地図で見る
グーグル画像です。

画像にある丸山稲荷社が松岡明神を移した後の社となるはずです。つまりこの地に元々鎮座していたのは、秦氏系の稲荷社であったということです。

御霊神社の神楽

鎌倉歳時記
09 /20 2010

前回の記事で面掛行列をご紹介しましたが、これに先立って境内において神楽が奉納されています。神楽の開始時間は13:00で行列より早く、本来ならこちらを先にご紹介すべきでした。

神楽は御霊神社境内の本殿右手空き地に竹を立て、縄で結んで幣束や紙垂を垂らし、結界を構築した神聖な場所で催されます。

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神事のための結界。

ただでさえ暑いのに、目の前には神事で使われる火にあぶられた湯釜がぐつぐつと煮えたぎっており、汗だくの状態になってしまいました(~_~;)。けれども、重要でおごそかな神事ですから我慢するしかありません。

御霊神社における神事のハイライトは湯立神事です。同じ神事がある皇大神宮、白旗神社の神職も加わり、粛々と、かつ和やかな雰囲気で進行していきます。湯立神楽に関しては以下Wikipediaより引用。

湯立神楽(ゆだてかぐら/ゆたてかぐら)は日本の伝統的な神楽の形式のひとつ。 釜で湯を煮えたぎらせ、その湯をもちいて神事を執り行い、無病息災や五穀豊穣などを願ったり、その年の吉兆を占う神事の総称である。


神楽の各演目は御霊神社の神職が解説しながら進めますので、比較的理解しやすくなっています。なお神楽が始まる少し前に到着したので、ベストポジションでの撮影はできませんでしたが、以下ご紹介します。(全ての演目を撮影できてはいません)

初能(はのう)と言う神事では、 狩衣姿の神職が神前に進み、左手の扇に洗米をのせ、右手は鈴を振って舞いながらお米を撒きます。魔物は米を食べるのに熱中するので、神事が妨害されることなく終えられるとか。写真はわずかに扇と鈴が見えています。

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初能。

御祓(おはらい)は、お神酒と祓幣(はらいへい)を持ち、湯釜にお神酒をそそいで一切を祓い清める神事です。

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御祓。

湯上(ゆあげ)は、熱湯に笹を浸し、神前に捧げるための神事です。

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湯上。

掻湯(かきゆ)は一連の神事の中心となるもので、舞い終わった後に、御幣で煮え立った湯釜を掻きまわします。すると湯釜から湯花が立ち昇るのですが、湯花の立ち昇り方でその年の吉凶を占います。

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掻湯。

笹の舞(ささのまい)は湯釜の熱湯に笹を浸し、参列者の頭上に散らし掛ける神事で、湯玉が飛び散ると、どよめきの声が上がります。湯花がかかれば、一年中無病息災だそうですが、湯釜のすぐ近くにいた酔石亭主は顔に大粒の湯滴を浴びてしまいました。やけどしそうなほど熱かったのですが、これで無病息災ならお安いご用です。また湯玉を散らすことから湯花神楽とも言われるそうです。

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笹の舞。

弓祓(いはらい)は御神矢を放ち悪霊を祓い、福を招く神事で、神職により御神矢が放たれると、参列者の間からどよめきが起こります。放った矢は持ち帰ることができ、開運の守護矢となります。ヤハウェ神のヤ(矢)の霊験は現代に至ってもあらたかなのです。

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弓祓。

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御神矢を放ったところ。右上の角に飛んでいる矢が見えます。

剣舞、毛止幾(けんまい、もどき)は、ちょっとコミカルな演目です。天狗の面を被った猿田彦が、除厄の剣祓(けんばらい)をするのですが、そこに真っ黒な面を被った山ノ神が現れます。山ノ神は手にしたしゃもじで参列者の頭を軽く叩いたり、お菓子を投げたりして参列者を喜ばせます。酔石亭主もキャンデーを2個獲得しました。

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剣舞。

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山ノ神。

神事の最後にはお赤飯までおすそ分けで頂きました。湯玉を浴び、キャンデーを授かり、お赤飯まで頂いたのですから、今年も残り三ヶ月半ですがきっと無病息災の年になるのでしょう。面掛行列もほぼ最後まで見終わり、ハッピーな気分で帰りました。

御霊神社の面掛行列

鎌倉歳時記
09 /19 2010

昨日は長谷・坂ノ下の御霊神社にて鎌倉随一の奇祭、面掛行列(ハラミット行列=孕み人行列)が執り行われました。神楽の奉納に引き続いて、14:30頃参道の真ん中辺りから行列が出発します。狭い参道は見物の人たちで溢れ返っていました。

先頭は天狗面の猿田彦です。天孫降臨に際して先導役を務めた神だから先頭に立つのでしょう。

猿田彦
「猿田彦」。

一番が「爺」です。やたら顔が大きいのですが、何となく哀感が漂い惹きつけられる面でした。

爺
「爺」。

二番が「鬼」です。印象の乏しい面と見受けられました。もっと厳しい表情だったら良いのですが……。

鬼
「鬼」。

三番の「異形」です。色黒で鼻が長く、恐ろしい形相の面です。どう見ても日本人がモデルとは思えません。

異形
「異形」。

四番は「鼻長」です。これも西域渡来の人物を彫った面でしょう。かなり異様な面という印象を受けました。

鼻長
「鼻長」。

五番は「烏天狗」。人の面というよりほとんどカラスですね。インパクトには欠ける面だと思われました。

烏天狗
「烏天狗」。

六番は「翁」面です。髭も木彫りされていますので、顎が長い面という雰囲気が強くなって、翁らしい印象が薄くなっています。髭の部分は白い毛をつけるべきではと……。

翁
「翁」。

七番の「火吹き男」ヒョットコです。通常ヒョットコはひょうきんな表情の面のはずですが、この面の顔は青黒く一番怖い面に思えました。古代の原始的な製鉄法で火を吹き続けると、顔から血の気が失せて青くなるでしょうが、そのイメージで彫られたとしたら凄いですね。

火吹き男
「火吹き男」。

八番は「福禄寿」。写真を撮る角度で表情が変わり、撮影しにくい面でした。福禄寿というより、萎びたお爺さんという印象の面です。

福禄寿
「福禄寿」。

九番が「おかめ」です。頼朝が懐妊させた隠れ里の娘の姿です。頼朝はブス好みだったのでしょうか?面を被るのは男性で、妊娠でお腹が大きくなった姿をより強調させています。そもそもこの行列は、頼朝が娘を懐妊させてしまったので、里人に一日限りの無礼講を許したことから始まったとされています。ですから、おかめがこの行列の主人公ですね。

おかめ
「おかめ」。

十番は「女」です。赤ちゃんの取り上げ役といったところでしょうか。影の役割のせいか印象の薄い面です。

女
「女」。

行列
行列。

行列2
もう一枚。

神輿2
神輿。人波の中を行きます。

神輿
神輿。

旗持ちの子供
旗持ちの子供たち。可愛いですね。

以上、それぞれに個性的な面が練り歩く鎌倉の奇祭の名にふさわしい行列でした。なお面掛行列に関しては「鎌倉の谷戸を巡る その15、16」(6月3日、6月4日付)にて解説していますのでご参照ください。

あじさい

鎌倉歳時記
06 /25 2010

やたらと花数の多いアジサイです。

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過剰すぎるのは美しくないですね。ご興味あれば、稲村ケ崎へ。

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梅雨の空。雲が犬か龍のようです。

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稲村ケ崎から江の島方面。砂鉄の黒い砂浜です。

鎌倉の地名由来を考える、の記事で歩いたときに撮ったものです。

酔石亭主

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