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若狭探訪 その12

若狭探訪
04 /15 2015

国宝の本堂、三重塔を拝したので客殿前の枯山水庭園を見ながら明通寺を辞すことになります。

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庭園。

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角度を変えて撮影。山を借景とした閑雅なお庭です。

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もう一枚。

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お庭の門を抜けるとカヤの巨木がありました。

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境内の外へ出て撮影。樹齢は500年とのことです。

聖地感に満たされた明通寺を後にして、次の目的地へと車を走らせます。

若狭探訪 その11

若狭探訪
04 /14 2015

最近国宝級の神社仏閣、仏像などに油をかける事件が頻発しています。千年にもわたって守られてきた国の宝を汚す行為は許せるものではなく、犯人は厳罰に処せられるべきでしょう。気になるのは30件にも及ぶ件数だけでなく、非常に広域にわたっていることです。単なる愉快犯にとどまらず、組織的なものであるとしたら実に厄介です。こうした行為が続くと、今まで目の前で拝することのできた文化財が、遠い位置からしか見られなくなる可能性も出てきます。日本の文化財の幾つかは世界遺産でもあり、日本のみならず世界の宝でもあります。それを汚す行為がいかに愚劣なものであるか犯人はわかっていないのでしょう。被害がさらに拡大する前に、当局は全力を挙げて検挙してほしいと思います。

では、明通寺の紹介を続けます。

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杉並木の坂から石段を登った先に本堂が見えています。

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接近してもう一枚。

このお寺は山の斜面をうまく利用して伽藍配置を立体的に構成しているようです。お寺に至るまでののどかな谷戸の光景、仁王門へと続く石段と巨木、仁王門のレベルにある客殿、そこからさらに坂を登り、石段を登ると本堂に到達できると言う構成自体が、仏の世界に次第に近づく高揚感や聖地感を生み出しているようにも思えます。

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本堂です。

素晴らしい建物ですが、写真では全くその雰囲気が伝わりません。現場に立っていただくしかなさそうです。本堂内部にも息をのむような重文の薬師如来坐像や深沙大将立像などが安置されており、圧巻です。

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解説板。本堂からさらに石段を登ると三重塔となります。

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三重塔。

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もう一枚。

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解説板。

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三重塔の位置から見下ろした本堂。


若狭探訪 その10

若狭探訪
04 /13 2015

小浜市矢代は小さな漁村ですが、孝謙天皇(718年~770年)の御代、矢代に唐の王女一行を乗せた唐船が流れ着いたそうです。船には8人の美女が乗っていて、村人も最初は歓待したが、王女たちの財宝に目がくらみ一行を襲って惨殺したという歴史があるとのこと。

祟りを恐れた子孫たちは唐船を解体した木材で福寿寺を建立。そして、悲運の最期を遂げた唐の女性たちの霊を慰め、こうした蛮行を二度と繰り返さないよう諫めるため、襲撃の様子を再現した手杵祭(てぎねまつり)を行うようになったとのことです。

さてそこで、若狭彦神社の社伝によれば若狭彦姫の二神は和銅7年(714年)遠敷郡下根来村白石の里に示現し、その姿は唐人のようであったとされます。時代の近さからして、白石の里に示現した唐人のような姿の二神とは、もしかしたら、唐船に乗って矢代に漂着した唐人たちの二人だったのかもしれません。或いは彼らのイメージが投影された結果、白石の里に示現した若狭彦姫が唐人の姿だったとされた可能性もあります。

矢代にはもう一つ面白い伝説があります。以前「東三河の秦氏」シリーズで源頼政の鵺退治を詳しく取り上げました。その退治に使った矢を作ったのが自分の所領である矢代だったと言うものです。詳細は以下を参照ください。

http://umason.jp/?page_id=32

ただ、亀岡市にも似たような話があり、頼政は鵺退治の恩賞に獅子王という名剣と矢代庄(現在の亀岡市矢田町)を賜ったとされています。いずれにしても、以前書いた記事と関連する伝説が遠く離れた小浜市にあるとは、実に不思議でなりません。

今回の訪問先である明通寺とは関係ない話から始まりましたが、若狭小浜が秘める歴史の奥深さを実感させてくれると理解されます。では、明通寺に向かいましょう。


明通寺の位置を示すグーグル画像。

小浜湾に注ぐ川に北川があります。北川から最初に分流する川がまた分流して、一つが遠敷川となり、もう一つが松永川となって狭い谷戸地形を流れています。そのほぼどん詰まりに位置するのが明通寺となるのです。明通寺に至る道は実にのどかで、気分のいいドライブが楽しめます。次第に山が狭まってくると明通寺に到着です。

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石段の下から見上げる仁王門。

この場所に立った瞬間にこれは凄いお寺に違いないと実感しました。天を突くような杉の巨木と豪壮な仁王門に圧倒されてしまいます。写真ではとても表現できませんが…。

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仁王門。

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下から見上げる仁王門。

明和九年(1772年)の建築とのことです。仁王像は鎌倉時代となります。仁王門へと登る石段の左手下にはよく整備された広く新しそうな庭園もありました。桜や紅葉の時期にはさらに趣を添えると思われます。

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境内側からの仁王門。大きな杉の木が二本立っています。

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杉の木立越しに見る向かい側の山。

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解説板。

本堂と三重塔が国宝で四体の像が重文となっています。これほどのお寺が谷戸地形の奥深くにあるとは、さすが若狭は懐が深いと唸らされます。創建も大同元年(806年)坂上田村麻呂によるものとされ、1200年以上の歴史を持っています。

                    若狭探訪 その11に続く

若狭探訪 その9

若狭探訪
04 /11 2015

瓜割の滝から戻る途中に、清楚な花が一輪咲いていました。

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ショウジョウバカマのようです。

少し歩いていると右手にお堂が見えてきました。巨木の中にひっそりと佇んでいるような風情です。

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巨木と観音堂。

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苔に覆われた庭と巨木。

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巨木の根張り。

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お堂と池と石橋。参拝者は誰もおらず、静寂に満ちています。

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神社の鳥居。

この場所だけでも聖地感がありました。次回は若狭の古いお寺に行ってみます。

若狭探訪 その8

若狭探訪
04 /10 2015

では、瓜割の滝に向かいましょう。天徳寺からはすぐの距離となります。

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瓜割の石柱と鳥居。神域と言う雰囲気が高まります。

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ちょっとした平場となっています。

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滝が現れました。

鳥居もあります。多分あの鳥居のある辺りが最も神聖な場所なのでしょう。滝自体はそれほど大きなものではありませんが、神域感は圧倒的なものがあります。古い時代から修験者が修業し、その気が籠っているとしか考えられません。

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滝と鳥居。飛び石は人工的に設置されたもののようです。

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もう一枚。マイナスイオン効果で清々しさを感じます。

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鳥居をズーム。この鳥居の奥から伏流水が流れ出ているようです。

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さらにズーム。岩の割れ目から水が流れ出ている様子が僅かに見て取れます。

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解説板。解説板と言うより注意書きとなっています。

この場所のありようがよくわかる注意書きでした。若狭の豊富な水に触れられて心洗われる気分です。

                    若狭探訪 その9に続く

酔石亭主

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